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廃湯を訪ねて〜【昌の湯】の閉店から2カ月が過ぎた現在の姿は?[大阪市・城東区]

廃湯跡探訪
廃湯跡探訪

2023年12月30日(土)に惜しまれつつも閉店された大阪市城東区東中浜の【昌の湯】さん。

先日、新聞に昌の湯さんの記事を見かけると3月に入って解体作業がはじまったとのことで、閉店から約2カ月半が経ちましたが、現地に赴きました。

最終営業日に訪れた記事は↓です。

緑橋と【昌の湯】の場所

「中央大通り」と「今里筋」が交差する緑橋交差点(今里・湯里六丁目方面)

昌の湯さんは、地下鉄中央線で生駒寄りに1駅の緑橋駅が最寄りで、北を第二寝屋川・南を中央大通り・東を平野川分水路・西を今里筋の四方に囲まれた東中浜エリアにあります。

58年から久野さんも手伝うようになった。当時は近くに12軒もの銭湯があったといい

なにわ銭湯ブギウギ.毎日新聞.2024年3月10日,朝刊,郡祐介

新聞記事には1958年には近くに12軒の銭湯があったそうで、東中浜にも最近までは【福湯】さんや【本町湯】さんがありましたが、昌の湯さん閉店後は【観幸温泉】さんの1軒のみとなりました。

緑橋駅から約10分、今里筋を蒲生四丁目方面に進み、今里筋から一歩、内側に入ると住宅が立ち並ぶ住宅街が広がります。住宅街を縦横する道路を歩いていると、今回の目的地【昌の湯】さん跡に辿り着きます。

道中に煙突を発見!

道中、集合住宅のと幼稚園の合間から煙突を発見!! 新聞記事を読んでから10日ほど過ぎていたので、すでに解体が終わっているのか気になっていましたが、まだ完全には解体されていようです。

更地の現況確認でも今後がどうなるのか気になるので良いですが、昌の湯さんの痕跡が見られると思うとテンションが上がりました。

昌の湯にたどり着くと…

前回訪れた時の道をうる覚えで歩いていると、大阪の下町らしい細道と住宅が混ざり合う場所に出てきて「このへん、前、通ったところやん」と記憶が蘇ってきました。

そして、ついに昌の湯さん跡地に到着。上の写真は元々玄関があった建物の正面部分ですが、防音シートに包まれていて解体中なのが一目でわかりました。

2024/3/21撮影

正面を通り過ぎて、建物側面に走る道路に出て全体を見てみると、煙突部分を除き、建物全体が防音シートに覆われていました。

大阪市城東区_緑橋_昌の湯_2023年末閉店
営業最終日の【昌の湯】さん 2023/12/30撮影

営業当時は正面がレンガ調の建物でしたが、防音シートで中の様子が全く分からない状態でした。

建物側面に回ると…

解体中の【昌の湯】さん 2024/3/21撮影

先ほどの道路を少し歩くと、防音シートがポッカリと開いた空間が現れ、建物内の状態が見えました。おそらく、工事関係車両のゲートと思われます。

解体作業は終盤のようで、8割方解体されていました。外壁や床、壁が剥がされて、地面の土?瓦礫?が見える状態でほぼ原型を留めていません。建物内の残っているのは浴室内のタイル壁ぐらいでしょうか?

大阪市城東区_緑橋_昌の湯_2023年末閉店
営業最終日の【昌の湯】さん 2023/12/30撮影

解体前のこの場所はボイラー室?的なところでお店の方が出入りされていました。店舗前にはお湯を沸かすために使われるであろう薪が積み上げられていました。

そして、最後まで原型を留めていたのは、冒頭で遠方から見えた煙突です。前回は建物があって全体が見えていませんでしたが、想像以上に大きくて迫力がありました。

写真には写っていないですが、ゲートから煙突の土台が見え、真っ直ぐ空に向かって伸びるその光景は昌の湯さんの歴史を物語っているようでした。また、最後に解体されるのを待っているかのようでした。

この記事がアップされる頃には解体作業も完了し、更地になっていることでしょう。そして新たな建物が建設されるのか…駐車場などになるのか…まだ分かりませんが昌の湯さんの記憶が少しでも残ってもらえればと思います。

付録 『中浜』と「浜」

出典:© OpenStreetMap contributors 

『東中浜』は地名の通り、『中浜』の東側にある地域で『中浜』は今里筋を挟んだ西側にあります。

この『中浜』の「浜」という字、少々疑問に思った方もいらっしゃるかもしれません。

出典:© OpenStreetMap contributors 

広域の地図を見てみると、『中浜』がある城東区は海岸線から大きく離れた内陸部に位置しています。一般的には海岸沿いにつけられることが多い「浜」。西宮の『浜甲子園』や神奈川の『由比ガ浜』などがありますね。大阪にも南海本線沿いに『粉浜』という地名があります。

実は大阪には「浜」とつく地名が内陸部にチラホラ見かけます。

代表的なのが大阪取引所がある『北浜』や北新地と中之島の間の『堂島浜』があります。他にも鶴見緑地近くの『浜』、現在は地名でないですが、北区・豊崎、鶴野町に『南浜』や東淀川区・柴島に『浜』と消えた地名にも「浜」とつく地名があります。

「なんでこんなところに浜がつくんやろ?」と疑問に思うかもしれませんが、大阪の「浜」とは川岸を指します。マップを見てみると川辺に近いことが分かります。現代の輸送はトラックが主流ですが、昔は川に舟を運行させた舟運が盛んで、川は現在よりも重要度が高く、川もたくさんありました。今はコンクリート護岸の川ですが、昔はもっと自然に近い形で川浜も多くあったのでしょう。

千間川と緑橋の説明碑

平野川と千間川が流れていたころ、鴫野・森という二つの集落の中央に位置し、そこが川浜辺になっていたことから中の浜といわれていました。

大阪市HP城東区. “区内南西部”.大阪市. 2011-01-11.
https://www.city.osaka.lg.jp/joto/page/0000000779.html#:~:text=%E4%B8%AD%E9%96%93%E6%9D%91%E3%81%A8%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C,%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82, (参照2024-03-30)

『中浜』は元々『中間』と呼ばれており、『中浜』に表記が変わったそうですが、一説には、平野川とかつて流れていた千間川の川浜から『中の浜』→『中浜』と変化したと言われています。

「水都」と呼ばれた大阪の歴史。こうして昔の風景が地名に織り込まれ、現在まで続いてきたと思うと地名は非常に面白い要素が含まれていますね。

今回は大阪の「浜」に関する付録でした。


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